他山の石 2009 10 24

 10月24日の時事通信社のニュースでは、このようなニュースがありました。
中国の温家宝首相は、「中国は、日米の失敗を繰り返さず」、
「1990年代の日本や1930年代の米国は、景気対策を性急に切り上げて失敗したが、
中国は、その轍を踏むことはできない」と述べた。
 確かに、日本では、バブル崩壊後の1990年代前半でも、
経済的には、まだ余裕が感じられたのです。
 しかし、1997年以降は、
経済的な苦境を強く感じるようになったのです。
 「他山の石以て玉を攻むべし」
よその山から出た石でも、
自分の宝石を磨くことに使える(詩経)。

1937年恐慌 2009 9 26
 恐慌というと、誰もが「1929年恐慌」を連想しますが、
本当に注目すべき恐慌は、「1937年恐慌」です。
 不幸なことに、日本は、こうした歴史の教訓を学ばず、
1997年に、同じような失敗をしてしまったのです。
 世界は、「1929年恐慌」のことは忘れるべきです。
もっと重要な「1937年恐慌」を記憶すべきです。

病み上がり(1937年恐慌) 2009 7 4
 最近、各国の中央銀行から、出口戦略の話を聞くようになりました。
しかし、それは、将来の検討課題であって、今は時期尚早だと思います。
まだ世界経済は、病み上がりだからです。
 NIKKEI NETのマネー&マーケットで、
岡田晃氏は、「1937年恐慌」のことを書いています。
 恐慌というと、1929年を連想しますが、
実は、1937年恐慌も、大いに問題があったのです。
(以下、引用)
 1933年に登場したフランクリン・ルーズベルト大統領が、
ニューディール政策で米国経済を立て直したことは広く知られている。
33年までの4年間、大幅なマイナス成長が続いていた実質国内総生産(GDP)は、
翌34年からプラスに転じ、37年まで景気回復が続いた。
 33年に50ドル前後まで落ち込んでいたダウ工業株30種平均は、
37年に190ドル台まで回復していた。
 そこでルーズベルト政権は、
ニューディール政策によって膨らんだ財政赤字を削減すべく、
増税に踏み切り、財政再建路線に転換した。
FRBも金融引き締めに転じた。
 だが、これは明らかに誤りだった。
景気は再び急速に悪化し株価は暴落した。
実質GDPは翌38年にマイナス成長へ逆戻りし、
ダウ平均は37年の戻り高値のおよそ半分の水準まで下がった。
これは、37年恐慌と呼ばれている。
それ以降、米国経済の本格回復は第2次世界大戦後まで待たねばならなかった。
(以上、引用)
 歴史に「if」はありません。
しかし、「アメリカに、1937年恐慌がなかったら」と考えざるを得ません。
 賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ。
歴史は、人類のためにある。
























































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